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Experience

播州織の歴史をつなぐ、新ブランドの主軸として活躍

株式会社丸萬事業企画部松川鉄平

江戸時代から続く播州織の一大産地、兵庫県西脇市。その山あいの里にある1901年創業の織物メーカー、株式会社丸萬は、伝統の技を未来へつなぐべく、2015年に新ブランド「POLS(ポルス)」を立ち上げた。そのコアスタッフとして奔走するのが松川鉄平氏だ。入社して4年、兵庫の機屋の職人と東京のデザイナーの架け橋となり、大手百貨店との交渉やイベント、展示会での接客販売などフレキシブルにこなす。POLSのオールラウンドプレーヤーとして、ブランドをけん引し続ける松川氏に、これまでに携わった仕事や今後の展望を伺った。

100年以上続く伝統の技を、新ブランドへ注ぐパイプ役

その日、松川氏はファッションとデザインの合同展示会「rooms EXPERIENCE」の出店ブースで接客に追われていた。「入社してからずっと事業企画部ですが、業務内容は幅広くて一言では説明しにくいです」と笑う。2015年に立ち上げた、織物メーカー丸萬の新ブランド、POLS。その生地の織り組織の設計は全て松川氏によるもので、縫製の手配も自ら行う。扱う糸の太さや密度、織り方を熟知していなければ担えない業務で、新たな生地の企画、開発も月単位で進めている。生地を織る機屋の職人、デザインを担当するデザイン事務所とのパイプ役として奔走する日々だ。

職人とデザイナーをつなぐだけではなく、一般ユーザーへのブランドPRの点でも松川氏はなくてはならない存在だ。大手百貨店でのイベントや展示会への出店交渉に始まり、出店時には自ら店頭に立って接客する。「商品を手にしてくださったお客様の反応や意見は、次の生地開発の参考になります。それに、携わった商品が買ってもらえる場に立ち会えるのは、最高のモチベーションアップになりますから」

現場を知るべく、「織物の里」へ移住

松川氏は入社を機に、本社のある兵庫県西脇市へ移住した。そこは200年以上の歴史ある播州織の里で、ピーク時よりも減少しているものの、今も170の機屋がひしめき、1,000人以上の播州織関係者が暮らす。松川氏は大学でテキスタイルを学んだが、生産地の技や知識、生産工程を肌で感じ取りたいと考え、会社側の本社勤務の要請に二つ返事で承諾。移住を決めた。「ずっと東京暮らしだったので、不安がなかったといえば嘘になります。でも、企画職は現場のニーズをくみ取ってこそだと思うので、移住に迷いはありませんでした」と言い切る。

そんな松川氏を本社スタッフは歓迎会を開いて温かく受け入れ、社宅での一人暮らしを誰彼となく気にかけてくれたという。だが、入社当初は現場で飛び交う専門用語、職人気質の機屋とのやりとりに翻ろうされっぱなし。「そんな生地は織れない」と職人に言われても、説得するだけの知識も経験もない。その悔しさをバネに松川氏は急速に業務に適応していった。「入社してから半年は、機屋に生地をとりに行って加工場に届けるという仕事でした。そのうちに織り組織の設計アシスタントをしながら、ジャカード織機の生産管理を任されるまでになりました」と松川氏。生産現場を一任されるまでに成長したころ、東京勤務となり西脇市での暮らしは1年半で幕を閉じた。

枠にとらわれない感性を積極的に受け入れたい

松川氏の入社は、丸萬の新ブランド立ち上げと時期が重なる。「ブランドを一緒につくりあげていける人材を求めていました」と語るのは丸山洵平事業部長だ。丸萬は100年以上の歴史を生かし、カジュアルウエアからパリのオートクチュール用のテキスタイルまで幅広く素材を提供。テキスタイルコンテストでも数多くの受賞歴を誇る。伝統を守るだけではなく、常識を覆す挑戦に積極的な社風はもともとあったが、さらに革新的な事業展開をと、新ブランドに踏み切った。「同じことを繰り返す事業展開では先細りです。生地ブランドだからできることを臆せずに表現し、自ら積極的に発信していく。そのために業界の常識に捉われない人材が必要でした」と採用の背景を語る。

松川氏の採用の決定打は、面接時に提出されたポートフォリオのクオリティーと人柄だったというが、実際に入社すると「年上の女性から好かれるタイプで、接客には定評があります。それに気難しいすご腕の職人ともスッと打ち解けて、周囲を驚かせています」と丸山氏は笑う。ブランドに携わるスタッフの求心力として、またブランド普及の推進力として松川氏を高く評価している。「今後も外からの斬新なアイデアやセンスを取り入れて、勢いを加速させたい」と若手人材の受け入れに意欲的だ。