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EXECUTIVE

かけがえのない写真の価値を、世界中の人たちに届けたい

株式会社小野写真館代表取締役社長 CEO小野哲人

留学中のアメリカで遭遇した、命の次に大切な存在

「子どものころは野球少年で写真を撮った記憶はほとんどありません。友だちに家が写真館だとばれるのが嫌なくらい写真を遠ざけていましたね」。そうはにかむ小野氏は、大学進学のために東京に出てきてからも家業を継ぐ気はなく、外資系金融企業に就職する。ただ、経営者と渡り合った金融業界での5年間は、その後家業を継ぐことになる小野氏にとってかけがえのない財産になっているという。

「下請けの大変さ、独自性のなさを身近に感じることができました。『価格決定権を持ち、事業の川上に立つ』というビジネス成功のための鉄則、『大きな利益が出ているときこそ、その利益を大きく投資する』という経営感覚も、このころに経験したことが大きく影響していると思います」

家業を継ぐと決め、アメリカに渡ったのが27歳。1年半、現地の学校に通い、写真の基礎から技術、ビジネス的な側面までを総合的に学んだ。そして留学中の2004年、新潟県で大規模な地震(新潟県中越地震)が起きたことをインターネットのニュースサイトで知る。

「地震が起きて真っ先に人々が手にしたのは家族写真だったという報道があったんです。正直、驚きました。自分なら直後の生活を考えて、財布やケータイを手にすると思いました。でも死と向き合った人たちが瞬間的に持って逃げようとしたのは、家族や恋人と撮った写真だった。それまで、口では写真の価値を語ったりしていましたが、写真の価値の大きさを本当に実感したのは、この時が初めてだったかもしれません。自分が帰国して携わる事業に誇りを感じた瞬間でしたね」

社運をかけたブライダル事業への挑戦。
そしてすべてを飲み込んだ東日本大震災

2005年に帰国し、2006年に小野写真館に入社するとすぐにブライダル施設の「アンシャンテ」を立ち上げる。その時点で小野写真館の経営状態は悪化の一途をたどっており、すでに2年連続赤字。ブライダルの仕事でいえば、式場からファクス一枚で依頼がくる状況に安住していた結果だった。

「下請け仕事の売上は決して小さくありませんでした。新たに式場をつくるとなれば仕事をいただいていた式場さんに対して裏切り行為にもなる。だから勇気が必要でした」

予想通り下請けの仕事はすべて失った。さらに価格ではなく、クオリティーにこだわって勝負したい、しなければこれからの時代は勝ち残っていけないと感じていた小野氏は、学校アルバムやピアノの発表会といった価格競争のみの入札案件もすべて止めてしまう。

「ここで経営のかじを大きく切らなければ、数年後に取り返しのつかない状況になるのは目に見えていました。でも『アンシャンテ』がダメだったら、倒産していたでしょう」

そう振り返るほどの決断は結果的には大英断となる。2006年を境に、小野写真館は息を吹き返していく。資金繰りに苦労しながらも決して立ち止まることなく、ブライダル事業を拡大させながら、2010年には成人振袖事業にも攻め込んでいく。ようやく2011年ごろになると経営は軌道に乗り始める。しかし状況は一瞬で暗転する。3月11日。東日本大震災は、小野写真館を窮地に追い込んだ。

震災で手に入れた経営者としての「使命」

鳴りやまないキャンセルの電話。相次ぐキャンセルメール。このままでは数カ月後には会社のキャッシュが底をつく。そう悟った小野氏は自己破産も覚悟したという。途方に暮れた小野氏の足は石巻に向いた。「仲間に誘われて4日間だけ石巻へボランティアに行ったんです。会社の状況からすれば人様の支援どころではなかったのですが」

しかしこの経験が結果的には小野写真館を救うことになる。現地の被害は茨城県の比ではなかった。まさに惨状。にもかかわらず、泥かきに行った老人ホームの女性オーナーは、小野氏たちにお茶を出しながら「戻りたい人が一人でもいるなら、すぐにでも再開したい」と笑顔で語った。

「施設は崩壊しているのに、目は希望に輝いているんです。家族やスタッフ、店舗すら失っていないのに悲劇のヒロイン気取りでスタッフにあたっていた自分が情けなくなりました。何をクヨクヨしているんだと」

避難所の体育館では何もかも失った人たちが涙を流しながら、ボロボロの家族写真にすがるように集まってきていた。その光景に心の底から「写真の価値をたくさんの人に伝えなければ」と決意した。

「それから迷いがなくなりました。事業をもっと大きくする。それが私の使命になりました」。茨城に戻るや、小野氏は遮二無二働き続けた。死に物狂いで資金調達に奔走し、なんとか震災の窮地を乗り越えると事業をどんどん拡大させていった。ついには首都圏進出を果たし、振り返れば、2006年から売上は10年で5倍になっていた。

「本来、すべてのものには減価償却という理屈がある。でも写真だけは10年たっても20年たっても下がるどころか、持ち主にとっての価値は上がり続けるんです。そのことを2つの震災で心から理解しました。写真を遠ざけて生きてきたから余計に強く感じるのかもしれませんね。写真とは、唯一無二のかけがえのない存在なのです」

そう語る小野氏のまなざしは東南アジアへも向けられている。すでに2015年だけでベトナムを8回訪れ、世界進出の基盤づくりを進めている。次の10年。小野写真館はどこまで大きくなっているのだろう。