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KEYPERSON

前職の経験を職場、事業で生かしきる

株式会社三宅セキュリティ事業部 事業部長寺山康浩

既存事業より新規事業、次なるチャンスを模索

1987~2009年の22年間、寺山康浩セキュリティ事業部事業部長は、大手電機メーカーに勤務。携帯音楽プレーヤーやCDラジカセなどの電気回路、ソフトウエアの設計やマネジメントを担当し、後にモバイル端末の開発やネットワークサービスのプロジェクトに関わった。「失敗するぐらいやった方が成功する。そういう社風でしたし、僕も若かったので、それがすっかり身についてしまいました」と当時を振り返り快活に笑う寺山氏。既存事業ではなく、新規事業に関わることが多かった経験が、寺山氏のベンチャー精神を育んでいった。

そして、のちの転職先となる電気通信事業者との共同事業を通じ、新たな可能性を切り開く。「当時その会社は、電気通信事業への新規参入を進めていました。現在では500名規模ですが、僕が転職を考え始めた当時は20名ぐらい。転職後は、前職時代から担当者として取り組んでいたモバイルデータ通信サービスなどの立ち上げに通信事業サイドから関わり、複数の企業と連携しながら事業を展開する醍醐味(だいごみ)を味わいました」

どちらの会社も規模が大きくなるにつれて「失敗できるぐらいのチャレンジ」はしにくくなり、リスク回避と比例して、期待とノルマだけは増えていくように、寺山氏には感じられたという。「社会人として、最後にもう一度チャレンジしたい」。そんな寺山氏のベンチャー精神がうずき出したときに出会ったのが三宅だった。

社長の思い、会社の未来像に全力で応える

「実は転職先が他の企業で決まりかけていたんです。でも、三宅の話だけは聞いてみようと訪ねると、最初の面接官がなんと社長の三宅その人。面談を重ねて、社長の夢や、会社が大きく変わる時期であるという話を聞くにつれ、興味がどんどん膨らんでいきました」と笑う。三宅氏が先頭を切って新しいことに挑戦し、暴走しすぎると社員が慌てて止める。そんな社風に、大企業となるような企業の創成期に共通する、特有の熱気を感じたという寺山氏は、三宅への入社を決めた。

配属はセキュリティ事業部。三宅氏が本腰を入れる情報セキュリティシステムの主軸となる部署だ。セキュリティペーパーによる持ち出し監視システム「コンフィデンシャル プロテクター」の国内での実績をあげていくことが課題となる。「タグとゲートによるセキュリティシステムの国内シェアはトップクラスですが、一般企業や省庁、医療福祉分野などへの参入はゼロベースです。大変ですが、これを乗り越えた先に新たな視界が開けるというもの。それに自社単独ではなく、ソフトウエア会社など複数の企業と取り組んでいるので、前職での他社との協業経験をフル活用して臨んでいます」と思いは熱い。

自由闊達(かったつ)な企業文化の推進力になりたい

また、寺山氏が事業部長として社内に向ける視線は穏やか、かつ冷静だ。現在の三宅は従業員20名の少数精鋭で、各自が担当する案件に個別に対応している。これを、社内の情報共有化を図り、一つの案件に多角的にアプローチし、事業チャンスを広げるようにする。その仕組みづくりを模索中だ。「この先、会社の規模が大きくなり、関わるメンバーが増えてきたら、今のメインスタッフが各ユニットのリーダーとなる。そうした未来像を見据えて、今から少しずつ始められたらと思います」

さらに、自身がそうだったように、若い人には失敗してもいいから行動してほしい、アクティブな気持ちで仕事に取り組める職場にしていきたいと意欲的だ。「自由闊達な社風は、今の会社の規模から大きくなっていく過程で、事業拡大の推進力になり、企業文化に成り得ると思うのです。そういう企業で働くことに、私だけでなく多くの従業員が居心地の良さを感じられたら、三宅に転職した意義、働く価値がますます高まりますね」と満面の笑みを浮かべ、「入社して半年、まだまだこれからです」と目を輝かせた。

あとがき

三宅の会社案内にはカメレオンの姿が大きく掲載されています。それは、時代の変遷とともに大胆に業態をシフトし、時代のニーズに応え続ける同社の柔軟なビジネスモデルを端的に表しています。縫い針の町工場から印刷業、そしてセキュリティシステムへと転換、拡大を繰り返し、前進し続ける三宅。培った経験や知識に固執するのではなく、それを未知の領域で活用し、他社にないオリジナリティーとして開花させる。失敗を恐れず挑戦し続ける開拓魂に、「ものづくり大国、日本」の神髄が感じられました。